明治中期 |
開業者である 三戸部 善蔵 が化粧箱の製造を始める。 |
明治42年 |
三戸部 善蔵 全国製菓品評会/化粧箱部門にて、3等受賞。 |
昭和 7年 |
三戸部 善雄 により、中野市にて創業。 |
昭和23年 |
機械設備導入により、共和紙器工業有限会社の名称にて須坂市本上町にて紙器製造を開始。 |
昭和28年 |
オフセット印刷機の導入により、一般印刷・印刷紙器の製造及び販売を開始。 |
昭和43年 |
機械化設備導入により、本社工場が手狭の為、同じく須坂市内である、松川工業団地4062へ新築移転をする。 |
昭和43年 |
代表取締役社長 三戸部 善雄 の死去により、
三戸部 寿行が代表取締役に就任、
社名改め共和紙器印刷有限会社とする。 |
昭和54年 |
長野市大字高田680へ長野営業所を開設、営業活動の拠点とする。 |
昭和57年 |
須坂本社、工場及び資材倉庫を火災により、全焼失する。 |
昭和58年 |
代表取締役 三戸部 寿行 辞任に伴い、代表取締役社長 三戸部 誠一 が就任する。 |
平成 8年 |
新設備導入の為、本社工場を増設する。 |
平成19年 |
代表取締役社長 三戸部 誠一 の死去により、
三戸部 善一 が代表取締役社長に就任、
組織社名改め共和紙器印刷株式会社とする。 |
平成22年 |
DTP設備導入。これにより県内初の完全内製化となる。 |